2017年 08月 17日
kutulis: 日本人学習者向きに
前項,難し過ぎたかもしれないので,学習者向きの分かりやすいのを再録しておく.

kutulis

「僕は手紙を書いた」Aku menulis surat →「僕の書いた手紙」surat yang kutulis,これは大切な文法である。

英語ならどちらも I wrote で済ませられるところを,日本語では「僕は→僕の(,が)」,インドネシア語では aku menulis → kutulis と処理する必要がある。

surat yang aku menulis というようなのは日本語の「私は書いた手紙」みたいなもので,わけの分からないものになる。「私」saya の場合だったら,特別の接頭形というものを持たないから,saya menulis → saya tulis となる。

kutulis,saya tulis のような動詞形の出番は,先ず第一に,上のような,yang に導かれる句の中。

次に Lalu kutulis surat. 「それから手紙を書いた」のような時。

この場合は,勿論 「それから僕は手紙を書いた」Lalu aku menulis surat. とも書けるわけだが,インドネシア語でどのセンテンスもこの me-形を使って,aku me-~ aku me-~ と書くのは,日本語なら「僕は~した。それから僕は~して,僕は~した」などと言うのに比することができる。よい日本語は「僕は~した。それから~して,~した」だろう。そこにこの kutulis の出番があるわけである。

次に大事なのは,「その手紙はまだ書いてない」Surat itu belum kutulis. のような構文においてである。

西欧の学者にしてみれば,Aku belum menulis surat itu 「僕はまだその手紙を書いてない」vs この Surat itu belum kutulis 「その手紙はまだ書いてない」という対立が,自分達の母語の持っている能動文・受動文という対立に引き当てて一番理解しやすい対立である。

その彼らが書いた文法のなかで,kutulis などの動詞形についての説明が,必ずこの Aku belum menulis surat itu. 対 Surat itu belum kutulis. という枠組の中で行われるのはいわば理の当然。この動詞形が「受動形」という名で呼ばれることが多いのはそこから来ている。

「受動形」は単なる伝統的な呼称,ニックネーム。これに釣られて「僕によって書かれた」などと奇ッ怪な日本語を頭に浮かべてはいけない。

ユディスティラの短編集 Wanita dalam imajinasi の ku-~65例の内訳:

65例中30例(46%)が,yang の句の中の用例: lelaki yang tidak kukenal (私の知らない男),bank yang kudatangi (私が訪れた銀行),など。

次いで25例(39%)が Lalu kutulis surat. 「それから手紙を書いた」の用例: Sebab, ... sampai saat itu, belum pernah kulihat Mas Bagio meneteskan air mata. (それはその時まで夫バギオが涙を流すのを見たこともなかったからである),Aku menangis lagi. Kupeluk erat-erat tubuh Mas Bagio. (私はまた泣き出してしまった。夫の体を強く抱きしめた),など。

そして10例(15%)が「手紙はまだ書いていない」の用例: kepada merekalah seluruh cintaku kupersembahkan (彼らにこそ私の愛情のすべてをば捧げているのである),Hasilnya memang kuanggap cukup baik. (成果の程は勿論かなりのものと見なしていた),など。[Sg 1994.9.9]

印刷本「文法篇 改版」には,"surat yang kutulis" (僕の書いた手紙) として載せた (150-151ペ). [Sg]



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by sanggarnote | 2017-08-17 06:09 | 能動受動


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