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2006年 07月 26日
Dia dipukul oleh kita.
dipelet olehku の kena pelet 説に関して,スンダ語文法の影響では,とのメールを頂いたので,「中庭98」から,以下を再掲する.

Dia dipukul oleh kita.

Dia dipukul oleh kita. は、やはり正しくない文でしょうか。以前、UI から留学してきた学生が,「Dia dipukul kita. は意味は解るが変だと思う。Dia dipukul oleh kita. は変じゃない」といっておりましたが。(読者からのメール)

これについては次のような説明をしよう。

「Dia dipukul kita. は意味は解るが変だと思う」―― これはその通り。こんなものが我々の目に触れる機会はゼロだろう。

それに対して,「Dia dipukul oleh kita. は変じゃない」の dipukul oleh kita の方は遭遇する可能性もありうる構文である。というのも,スンダ語の文法がこうらしくて,スンダ人がよくこう書くというのは有名な話になっているからである。

それに英語など外国語の受動構文の影響もある。翻訳調の文体だったらこの oleh kita はすらっと通ってしまうだろう。だから,そういう文章にこれが出てくる可能性は大いにある。

それから三つ目は,例えば,ある書類に我々と彼らとが署名しなければならないことを表現するケースを考えてみる。この場合に, Surat ini harus kita tandatangani, dan juga harus ditandatangai oleh mereka としなければならないとしたら,これはもっとコンパクトに書けないかという考えが出ておかしくない。ここで oleh kita を許せば,Surat ini harus ditandatangani oleh kita maupun oleh mereka. とすらりと書ける。

つまり,アメリカ仕込みのスンダ人ならいざ知らず,インドネシア語を学習中の日本人学習者として我々が使うべき構文は,あくまでも正統な Surat ini harus kita tandatangani.であること。しかし,いざ三つ目のような事態に直面したときには, 騒がず oleh kita を出動させて対応する,そんな技も心得ていること。

Dia dipukul oleh kita.について言えることは,こんなところだろうかと思う。[Sg 5.26.98]

by sanggarnote | 2006-07-26 17:12 | 文法


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