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2006年 12月 30日
Selamat Tahun Baru 2007!
中庭ノートもこれで新年までお休みします.

Selamat Tahun Baru 2007!
新しい年 2007年がつつがなき年でありますように.
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by sanggarnote | 2006-12-30 18:02
2006年 12月 30日
Ia yang mengarang buku itu.
Ah, kenapa lelaki itu tak mau mengatakan bahwa ia yang mengarang buku itu? (hal.192)

(Maria A. Sardjono, Bulan Perak Di Atas Tawangmangu)

ia yang mengarang buku itu. は,次のような構文である.

ia: 彼である(つまり,自分である).
(何が)
yang mengarang buku itu: その本を書いたのが.

以下,yang を加えるだけの練習問題である.

1) Saya pergi. 私は行った.
私が行ったんです → Saya yang pergi.

2) Ini murah. これは安い.
これが安いんです → Ini yang murah.

3) Siapa datang? 誰が来ましたか.
誰が来たんですか? → Siapa yang datang?

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by sanggarnote | 2006-12-30 17:48 | 文法
2006年 12月 30日
sedang akan ...
(...) ketika matanya menatap nama pengarang buku yang sedang akan dibacanya itu. (hal.191)

ふつうよく見るのは,sedang ..., akan ... などだろうが,ここは sedang akan ... である.しかし,「ちょうど今読もうとしている本」と読めばいいだけで,特に問題はないだろう.
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by sanggarnote | 2006-12-30 17:12 | 文法
2006年 12月 30日
saat dimana ...
Akan ada saat dimana ia harus berhadapan dengan kenyataan. (hal.75)

(Maria A. Sardjono, Bulan Perak Di Atas Tawangmangu)

英語だと, the reason why ..., a time when ..., a place where ... などばっちり決まっているようだが,インドネシア語では,そう「ばっちり決まっている」とは言えないというようなところだろう.

上の例では,「現実と向き合わなければならない瞬間があるはず」の saat の後に dimana が登場している.日本語でも「現実と向き合わなければならないところの瞬間」なんてあるし,インドネシア語でも,saat dimana なんて言ったりすることもあるんだ,と理解しておこう.
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by sanggarnote | 2006-12-30 16:53 | 文法
2006年 12月 30日
berjalan kaki & menyeret kaki
Kakinya terasa gemetar. Dengan susah-payah, diseretnya kakinya yang gemetar itu menuju ke kamarnya. (hal.211)

(Maria A. Sardjono, Bulan Perak Di Atas Tawangmangu)

密かに思いを寄せている義弟の非常にショックな女性関係の話を立ち聞きしてしまった Sisilia の反応である.

menyeret の目的語は,ふつうは「重い荷物」などだが,上は「自分の足をひきずる」例.

自分の体の一部でありながら,自分のコントロールが及ばなくなったような足,勝手にがたがた震え出し,まるで自分のものでなくなったかのような足,menyeret kaki の足とは,そういう足である.

我々が「歩いている」時を考えると,左右の足を互い違いにタイミングよく前に送り出している筈だが,我々にそんな意識は全然ない.ただ,ゆっくりとか,急いでとか「歩いている」だけ.そして,それが berjalan kaki の状態というわけである.
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by sanggarnote | 2006-12-30 16:25 | 文法
2006年 12月 30日
Setiap hari baru muncul
Setiap hari baru muncul, ia merasa lega sebab itu berarti perjumpaan dengan Bimo semakin dekat waktunya. (hal.193)

(Maria A. Sardjono, Bulan Perak Di Atas Tawangmangu)

このセンテンス,setiap hari (毎日),baru muncul (現れたばかり) と読んで「何だこりゃ」となってしまったが,これは読み違い.

正しくは,ここの setiap は「何々する度に」の setiap,また baru はbaru muncul でなく「新しい一日」hari baru の baru であった.

(itu berarti) perjumpaan dengan Bimo semakin dekat waktunya. は「ビモとの再会の時がまた近づいた」と読めばいいが,インドネシア語は次ぎのような構文をとっている.

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by sanggarnote | 2006-12-30 14:14 | 文法
2006年 12月 26日
何が原因
a0051297_323143.jpgこういう言語同断な事態が,exblogガドガドで発生した.ずっとこんなことにならずにやってきて,急になった.同じスキンを使っているこの「中庭ノート」では起こっていないのに,である.一体何が原因なのか分からない.対処法を目下模索中である.

インドネシア語や英語のテキストは,いちいち整形して張り付けなければならないとしたら,手間なことだ.

exblog サポートからの回答: 「弊社提供スキンでは本文表示可能枠のサイズ(幅)にあわせて反映され,元々禁則処理は実行されません。お手数ではございますが,記事投稿前にプレビューで改行箇所を確認のうえ,ご投稿ください」.

いやに国粋主義的なんだなと思わざるをえないが,ともあれ exblogガドガドは,整形テキストを張り付けて対処することになった.

そして,サポートの公式見解にも関わらず,自動折り返し+英字禁則処理がうまく働いているこの「中庭ノート」は,(何故かなど問わず)素直に有り難いことであると喜べばいい,と考えることとしよう.
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by sanggarnote | 2006-12-26 03:23 | 其他
2006年 12月 25日
tanah terban
terban: runtuh (tt atap, loteng, tanah, dsb) (KBBI)

この terbang (飛ぶ) ならぬ terban (崩れ落ちる) という単語,初めて覚えた.

Sedikitnya 18 orang tewas dan 25 unit rumah warga serta satu mushala tertimbun tanah longsor di kawasan Bukit Mamurah, Kecamatan Muaro Sipingi, Kabupaten Mandailing Natal (Madina), Sumut.
Wartawan ANTARA dari lokasi longsor di Muaro Sipongi, Senin, melaporkan longsor terjadi Minggu malam, akibat tanah terban dari Bukit Mamurah. ("Madina Dilanda Longsor, 18 Orang Tertimbun", Antara News, 25 Desember 2006)

マレーシアの辞書 Kamus Dewan Ed. Ketiga を見たら,terban: runtuh (tumah, tanah, dll) とちゃんと載っていた(longsor (Jw) はなし).れっきとしたマレー系の語彙であったようだ.

-n : -ng の発音,つまり「ヌ : ん」の練習には,この「崩れ落ちる : 飛ぶ」 のペアも加えよう.

asin : asing
bidan : bidang
insan : insang
jalan : jalang
lapan (=delapan) : lapang
pandan : pandang
simpan : simpang
terban : terbang
topan : topang
tuan : tuang

a0051297_12295883.jpgこの女性週刊誌の名は「アンアン」,日本人は断じて「アヌアヌ」のような音は出さない.その音を出そうというのだから,訓練が必要である.日本人の出す「アンアン」は,インドネシア人にはむしろ -ng と聞き取られる.
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by sanggarnote | 2006-12-25 16:24 | 文法
2006年 12月 25日
majalah Horison berumur 40 tahun
論語なら「四十而不惑 (四十にして惑わず)」だが,英語には「人生は四十から」 Life begins at forty. なんてのがあるらしい.文学誌 (週刊) Horison 創刊40周年を取りあげた記事 "Horison dan Generasi Pasca-Orba" (oleh: Binhad Nurrohmat, Kompas, 24 Desember 2006) からである.

Life begins at forty, kata orang, dan tahun ini majalah Horison berumur 40 tahun --- sebuah rekor hidup majalah kesusastraan yang belum tertandingi di negeri ini. Majalah kesusastraan berbahasa Indonesia itu lahir setelah kekuasaan Orde Lama tutup buku dan ketika kekuasaan Orde Baru baru berdiri. Majalah bulanan yang legendaris itu terbit pertama kali pada Juli 1966 dengan SIT No.0401/SK/DPHM/SIT/1966, 28 Juni 1966 dan SIUPP No.184/SK/MENPEN/SIUPP D.I/1986, 3 Juni 1986.

tutup buku,この buku は「帳簿」.商売で「帳簿を閉じる」のだから,芝居で言えば「幕を下ろす」こと.情報省の出した出版事業の許可は,SIT [Surat Izin Terbit] (1959年から), 1982年から SIUPP [Surat Izin Usaha Penerbitan Pers] .

なお以下.中庭94から.

SIUPP

Surat Izin Usaha Penerbitan Pers,「新聞雑誌出版事業許可証」のこと。現代インドネシアを代表する刊行物であった週刊誌 Tempo が去る21日,情報省によりこの許可証取り消しの処分を受けた。これは,一時的な発行禁止処分 pembredelan とは違い,雑誌の存在自体にたいする死刑宣告であり,報道に対する最も厳しい弾圧の手段である。

テンポスタイルとも呼べる新鮮な文体によってインドネシア語の今日的文体の確立に大きな役割を演じてきたテンポ誌は,来年創刊25周年を前に消えた。今日の朝日新聞(28日)は,連日ジャカルタで繰り返される抗議行動の鎮圧に治安部隊が投入され,詩人レンドラ W.S.Rendra らが逮捕されたことを伝えている。[Sg 1994.6.28]

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by sanggarnote | 2006-12-25 13:45
2006年 12月 24日
Skala Richter (マグニチュード) 主義
"Gempa 5,5 Skala Richter Mengguncang Jakarta" (Liputan6.com, 24/12/2006)

Gempa bumi berkekuatan 5,5 skala Richter mengguncang wilayah Jakarta dan sekitarnya. Episentrum atau pusat gempa tersebut berada di kawasan Ujung Kulon, Banten.

インドネシアの地震報道は,このように Skala Richter (マグニチュード) 主義.揺れたと思ったら,すぐテレビが「各地の震度」を伝え,今後は揺れる前から「緊急地震速報」で震度を予測して伝えるという地震国日本とは,大いに違う.

ジャカルタはこのウジュン・クーロンを震源とするマグニチュード 5.5 の地震で,どのくらいの揺れがあったのだろう.
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by sanggarnote | 2006-12-24 17:32 | 事情