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2012年 04月 24日
Gonda 論文 "Reflections on the Indo-European medium" を読んで
「インドネシア語の中庭 文法篇」(2010年発行) は,かなり限定した発行部数にしたのですでに habis であるし,またノドの余白はもっとあった方がいいような感じなので,改めてのりしろ余白をもう少し大きく設定した改版を出すことにした。内容的には「型とケーキ」のイラストを新しいものと差し替えたことと「Gonda 論文を読む」(以下参照) を加えただけで,他は旧版と変わらない。

Gonda 論文 "Reflections on the Indo-European medium" を読んで

1. はじめに
「BER- 動詞は本来 subject の自分自身のためにする行為を表す機能を持つのであり,言語学でいう medium <中動>,サンスクリット文法でいう Atmanepadam <為自言>にあたる」。このようにして Tendeloo (1895年,123-131ペ)に始まった BER-中動説をいわば <主体>態として把握し直す BER- 円体論を試みた筆者としては,本家印欧言語学のなかで中動態がどう定義されてきたかは大いに知りたいところであった。佐々木 (1978年) は Benveniste (1950年) は見た。しかし今回報告しようとする Gonda 論文は見落としていた。印欧語中動態研究の必須論文と知った後も,まさかマレー語(インドネシア語)に言及して,本来的機能における中動態は TER- 動詞にこそ相当するなどと述べていようとは夢思わずにいた。
2. Benveniste の external と internal
Gonda 論文はまず Vendryes, Jespersen, Bloomfield, Hockett など過去40年間の言語学の代表的テキストにおいて,中動態がいかに不適切,不十分な考察しか受けていないかを指摘する。「このカテゴリーの機能,また存在自体が説明つけられていないでいる」(108ペ)というわけである。ついで Brugmann, Meillet, Buck, Kurylowitz, Debrunner ら専門家の見解の検討に入り, Benveniste 論文に至って,「疑いもなくこれまでの定義より一歩前進している」(118ペ)との評価を与えている。
能動態と中動態の対立を,外と内,つまり「subject に発しその外で完成するプロセス」を示す<外在>態,「subject がその le siege <座>であるプロセス」を示す<内在>態,と把握するのが Benveniste 説である。まことに鮮やかであり,とくに能動の分析が小気味よい。成程,<幹事>と<コンパ>の関係は external である,<参加者>と<コンパ>の関係は internal だと,筆者などはよく納得がゆくのであるが,Gonda も大いに興味をそそられて強い反応を示している(119ペ参照)。1950年の Benveniste のこの論文が Gonda 論文(1960年)を引き出したと言って差し支えあるまい。
3.Gonda の active と eventive
Gonda は,再帰・運動・姿勢・身なり・相互・受動その他もろもろの通常中動態の機能として列挙されるものの根底に横たわる basic meaning を求め (127ペ),それが eventive だと説く。つまり,<生まれる>,<死ぬ>のように「プロセスが人や物に関連して行なわれる,作用を及ぼす,起こる」ことを意味するのが中動態の本来的機能だと結論するのである (143ペ)。
Gonda の能動態の定義はごく地味で,the subject performs a process (145ペ) だから,能動との対立は,active 対 eventive ということになる。「半未開的で古代的だった人々は明らかに様々な理由から能動形を避けたいという気持ちをいだき,多少とも eventive な表現を用いる方を選んだ ... 彼はプロセスの seat である人(または物)を subject として,それを中動態と結びつけた」(151ペ)。印欧諸語の古代期に非常に盛んであったのはこの用法なのだ (126ペ)と, Gonda は述べている。
4.TER- の登場
TER- 動詞が登場するのは,このような eventive を表現する動詞形態が数多くの言語に広く存在する (152ペ) という文脈においてである。BER- 中動態説に慣れ親しんだ身には全く思いがけない展開だが,「意志に反して,意図的でなく,多少とも自動的」(126ペ) なら,確かに TER- 動詞, tersenyum <微笑む>,tertidur <居眠りする> terkejut <ギョッと驚く>, termakan racun <間違って毒を飲む>などの出番に違いない。Gonda はさらに「完了,し切れない」系統の terkepung <包囲された>,tiada terangkat <持ち上げ切れない>, tiada terjalan <歩けない>の語も出している (152ペ)。
5.中動態の subject
上の引用に見る通り,Gonda はこの中動態の subject を「プロセスの seat <座> である人(または物)」と述べている. the 'seat' は, Benveniste の le siege の英訳なのだろう.ところで,高津 (1954年,263ペ)がアッサリ「動作の主体を中心に考える medium 」と書いているように,これは日本語なら<主体>だというのが筆者の考えである。これに subject の訳語を与えて澄まし顔なのが和英辞典だけれども,欧文脈では Gonda のように説明しなければ意味をなさないというのが本当のところだろう。
6.おわりに
インドネシア語にはない現象だが,<主体を主語とする>中動態という立場から次の二点に触れておく。サンスクリット語では能動態の命令よりも中動態による方が丁寧な言い方になる (125ペ),ギリシャ語では未来が好んで中動語尾をとる (137ペ ) という。その心は,<主体>性の尊重が丁寧に通じ,未来のプロセスにはいまだ agent を語れず,だろうと解釈したい。
文 献
Benveniste, Emile (1950年) "Actief et moyen dans le verbe"
 この論文は Journal de psychologie 43 に発表され,彼の論文集 PROBLEMES DE LINGUISTIQUE GENERALE (Gallimard, 1966年) に収められている。この英訳本に PROBLEMS IN GENERAL LINGUISTICS (University of Miami Press, 1971年) がある。
Gonda, J. (1960年) "Reflections on the Indo-European medium"
 Lingua 9 に発表され,彼の選集 SELECTED STUDIES Vol.1: INDO-EUROPEAN LINGUISTICS (Brill, 1975年)に収録されている。本報告での引用はこの選集のページによる。
Tendeloo, Dr. H.J.E. (1895年) MALEISCHE VERBA EN NOMINA VERBALIA
高津春繁 (1954年) 『印欧語比較文法』(岩波全書)
佐々木重次 (1978年)「インドネシア語の動詞体系における BER- 動詞と ME- 動詞の対立の意味(その2)」『東京外国語大学論集』28

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第15回 (1984年) 日本インドネシア学会要旨から再録.
なおフランス語アクセント記号を省いた点をお断りしておく.



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by sanggarnote | 2012-04-24 05:35 | 文法


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