人気ブログランキング | 話題のタグを見る
2014年 11月 24日
berjual garam & menjual garam
久しぶりに日本ペンクラブ電子文藝館を訪れて,そこにアップされている伊藤 整の「求道者と認識者」と「近代日本人の発想の諸形式」を一太郎徹で処理して Kindle 用ファイルを作成し,Voyage に入れた.

二十世紀のヨーロッパの文学者、ジイド、ジョイス、ロレンス、ストリンドベリイ等も自伝的作品を多く書いてゐる。しかし我々は彼等の生活そのものに感動してゐるのではない。彼等が調和ある生活を作つたとか、革命的行動をしたといふ点を作品の中核として見たり、又はそれを前提として作品の感興を追つたりしない。それは異国の作家だからであるか、それとも作品構造と質の違ひからであらうか。これが所謂(いはゆる)「私小説」の問題として、私のみでなく日本の文藝批評家の精力を集中して探索してゐることである.(近代日本人の発想の諸形式)

この日本文学の「私小説」の世界とは,日本語の「親父はガンの手術をした」の世界,インドネシア語の例を挙げれば, menjual garam (塩を売る) に対する berjual garam (塩を商う) の世界とおそらく同じだろうとけんとうつけているのが,私がこのような「私小説」論にひかれる所以である.

なお,この「近代日本人の発想の諸形式」で「言語の構造,言語学」について言及しているところは以下.

言語の構造が先か生活の構造が先か、それとも人種の意識構造が両者を同時にきめたために、かうなつたのか、といふ推理を更に生ずるだらうが、それは比較言語学の問題で、その点での社会構造との関聯を私は細かく追求することができないけれども、...


[Sg]


[PR]

by sanggarnote | 2014-11-24 06:04 | 文法


<< Tongsis mendunia      Kindle Voyage で... >>