アンワル先生のメールで,マレーシアの諺 「型がどうかで,ケーキもそういうかたちになる」 Bagaimana acuan, begitulah kuehnya.の存在を知ったわけだが,それに加えて,パントンの上句二行 sampiran (衣紋掛け・帽子掛けなどの「掛け」) のことをマレーシアでは "pembayang" (匂わす・ほのめかす・示唆するもの) と呼ぶらしいことも学んだ.つまり,インドネシアで言う "sampiran - isi" は "pembayang - maksud" らしい.
しかしなにはともあれ,パントンの話題から bayang (影) が語幹の "pembayang" が出てくるとは思わなかった.この影絵劇のイラストへの願ってもない橋渡しである.
上の pantun は文芸,wayang は芸能だが,これに更に文法 tatabahasa のイラストも加えてみれば,
円は diri (我) である.
円を描けば,円の内が生まれると同時に円の外が生まれる.
pantun, wayang, tatabahasa
http://sanggar.exblog.jp/20146639/行雲流水の彫刻家 蜜波羅伸三展
https://sanggar.exblog.jp/18730442/[Sg]
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