2016年 12月 17日
中動態の世界
私の中動態論は,「BER- の章」 『インドネシア語の中庭 文法篇 改版』 (p.1-37) .そして,哲学の方に張りだして読むのが,木田元 『反哲学入門』 (新潮文庫) だが,昨夜の検索で,國分功一郎 「中動態の世界」 (『精神看護』 17巻1-6号連載) という論文(2014年)があるのをはじめて知った.

(第1回) 「する」でも「される」でもない世界.
(第2回) 消えた中動態の謎.
(第3回) 「する/される」から「内/外」へ.

[第3回要旨] ◎能動にも受動にも収まらないものとして中動態を扱うやり方は,この態を神秘化するだけである。そこから抜け出すべく言語学から「主語の被作用性」という定義が提案されたが,それもまた「する/される」というパースペクティヴの外には出られない。
◎言語学者バンヴェニストは、中動態の分析において,「する/される」ではなく「主語がその過程の内にあるか外にあるか」に注目した。つまり,主語がその過程の「座」になるものが中動態である。
◎能動態と受動態が対立する「する/される」の世界では,《意志》が前面にせり出している。しかし,能動態と中動態が対立する「内/外」の世界では,《意志》は、そして《主体》という概念もまた背景に退いていく。
http://medicalfinder.jp/doi/abs/10.11477/mf.1689101330

「中動態の世界」はある意味ではバンベニスト論でもある (KoichiroKOKUBUN国分功一郎) --- となれば,こりゃどうしても読まざるをえない. さっそくアマゾンの古書店に注文した.

日本人が生きているのが 《主体》 中心の「中動態の世界」ではないか,というのが拙論なのだが.[Sg]



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by sanggarnote | 2016-12-17 09:59 | 文法


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