kubaca, kaubaca, dibaca について, 先に「これら,かつてのオランダ人学者の目には <語頭式人称活用形> と映ったものだが」と書いたが (Sg 5.12.08), 実を言えば,そのかつてのオランダ人学者の間でも「能動説」を唱えるのは革新派で,保守派は「受動説」である.
J.J. de Hollander
Handleiding bij de Beoefening der Maleische Taal en Letterkunde.
(初版 1845年から版を重ねている)
het zuiver passief: dibaca.
het subjectief passief: kubaca, kaubaca.
この Hollander 情報は,第5版(1882年)をお持ちの R先生@ブルネイから頂戴したが, そこに「
されたいと見えて
したい」を意味する受動文の問題も取り上げられている(=手元にある資料では、これが「
したいか
されたいか」の問題を提起した最初です --- R) ようである.
そして,
TBBI_3 (1998年):
Cara pertama: dibaca.
Cara kedua: kubaca, kaubaca.
(Kalimat Pasif, 345-347)
つまりは TBBI, 保守本流に属して19世紀半ばからの伝統を守っているということになるだろう.--- Kebangkitan Nasional の萌芽もないのでは?