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2019年 11月 11日 ( 3 )

2019年 11月 11日
KKM の派生語配列順
-AN
BER-; BER-AN; BER-KAN
KE-
KE-AN
ME-; ME-I; ME-KAN
MEMPER-; MEMPER-I; MEMPER-KAN
PE-
PE-AN
SE-
TER-

KKM は,このように -AN を「接辞 AN」と数えて,これを派生語グループのトップとする ABC 順の配列をとる.

KBBI の母胎と言ってもいい辞書 Poerwadarminta KU では,SE- を最先頭に,動詞系の派生語 (BER-; ME-; MEMPER-; TER-) を扱い, それから名詞系派生語(-AN; PE-; PE-AN; KE-AN)という順に並べる配列である.[Sg]



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by sanggarnote | 2019-11-11 18:53 | 辞書
2019年 11月 11日
助動詞論に見る能動論者と受動論者
1.はじめに
ku-, kau-, di-(nya),およびこれに準ずる動詞形をめぐって対立した解釈があること,すなわち能動論者と受動論者がいることは周知の通りである.前者は同動詞形を「人称形,活用形」と呼び,後者は「受動形」と称する.

Aku kaubunuh. の文は,前者によれば「能動文: 目的語ー人称形 (Mees); 主要語ー活用形 (Ophuijsen)」 であり,後者によれば「受動文: 主語ー受動形」である.

ここまでは,両者ともただ原則論を展開すればよい.しかしながら,上の文に希望・意志を表す語 hendak を加えるなら,事態はガラリと変化する.Aku hendak kaubunuh. の文は両者にその立場の矛盾,分析の不備を痛感させるものとなる.本稿は両者のこの構文に対する反応・取り組みを報告するものである.

2. 「したい」Aku hendak kaubunuh.
能動論者にとっては原則論で処理しうるこの構文も,「主語ーhendakー受動詞」と分析する受動論者にとっては見過ごせない用法となる.

こうして,Walbeehm (1920: 20ペ) の「最後に注目しておかなければならないのは,hendak が受動詞と共に用いられた場合,文の主語(つまり動作の客体)の意志ではなく,動作の主体のそれを表現するということである.すなわち, Ia hendak dipukul は Hij zal (hij wil ではない!) geslagen worden を意味する」や,インドネシア語以外では,トバ・バタ語の Van der Tuuk (1971: 286ペ) の「nain や,その他の希望を意味する語,例えば siyol は,受動表現でもつねに動作者にかかる.すわわち,naing di-boto は it wants to be known by him,すなわち he wants to know it」, またジャワ語の Roorda (1906: 199ペ) の「Yagene aku arep kopateni? は一見 <何故私は君に殺されたいと思うのか> に見えるかもしれないが,ジャワ語では実は<何故私をば殺そうとするのか> の意味である」とかの発言が見られることになる.

こうした受動論者の途惑い振りは,当然能動論者のからかいの対象となるわけで,Ophuijsen (1915: 223ペ) は, Raja Fatimah murkahlah akan Bendahara, sebab suami baginda Raja Umar tiada mau dirajakan. の例文に脚注を付して,「この文は,dirajakan を受動詞と解釈する者にとっては,たやすく説明つかないのではないかと思われる.Tiada mau dirajakan=(hij) wilde niet koning gemaakt worden?」と述べている.

3. ジャワ語文法における助動詞論
この構文の提起する問題を受動論者として克服しようとするならば,議論は「主語,受動詞」概念の再検討には向かわず,「助動詞」論の方向に展開するはずである.それを我々はジャワ語文法の分野に見ることができる.

Roorda (1906: 253パラ) は,Mengapa aku hendak kaubunuh? に相当する先きの例他を掲げて,「人が,誰かあるいは何かをどうかしようという意図・希望である場合,その述語は,意図・希望を表す語はそのままで,本動詞を受動態にかえて受動文にも用いることができる」と述べ,「ジャワ語の特異性」を語った.ジャワ語受動論者の arep の問題は,こうしてスタートした (Berg 1936: 29ペ).
[注]本稿の物騒な例文は,この Roorda の例文に合わせたものである.

Kiliaan (1919: 174パラ) は,「退化した述語に他ならぬ述語的副詞」説をたてた.「受動文は能動文から生成する」というのは受動論者の先入観念の一つだと思われるが,彼はその過程に「述語の退化」すなわち副詞化の契機を見る.こうして能動構文では述語的に解してもよろしいが,受動構文では副詞的に解釈しなければならない,つまり「されたい」と読んではならない「述語的副詞」arep を作り出したのである.

「副詞」説は,たしかに一つのやり方である.Tuuk (1971: 266ペ) は「文副詞」説であった.

Berg (1936: 27-44ペ) は,arep「助動詞」説である.彼によれば,「助動詞」はその表す概念がはなはだ一般的性質のものであるだけに,動詞と違って「主語に対する親和性」の度合いが低く,そのために「論理的親和性」を欠く「ふさわしくない主語」とも結びつく.「私が…たい」と読まない問題の受動文 Aku hendak kaubunuh はその一例である.これは,Kau membunuh aku. 対 Aku kaubunuh. という能動・受動の対をなす文からの「類推作用」で,先行の能動文 Kau hendak membunuh aku. から作られたとするのである.

Gonda (1943) arep「指示詞」説は,これまでの議論を問題の構文に自らの立場を貫徹しようとする受動論者の切実な営為と認識せず,単に arep 品詞論と理解した風がある.「助動詞ではなく,指示詞と見さえすれば,Berg が Roorda や Kiliaan らと共に作り上げた困難のすべてから解放される」(102ペ) と述べているが,無論そんなことではない.彼が「受動・能動の用語はむしろ避けて,いわゆる活用形・me-形という呼び方に換えたいと思うが,それはともかく」(97ペ) と,あいまいながら能動論者の立場に組したことが決定的なのである.

受動論者が「したい」Aku hendak kaubunuh. の文で直面したのは,ある構造なのである.その意味では,受動論者の hendak=arep をめぐる様々の議論は,Uhlenbeck (1965年: 60-62ペ) の「regressive 構造に入る助動詞」説,すなわち助動詞+動詞からなる動詞句は,regressive 構造であり,従って「助動詞は,統辞論的には,それに先行するいかなる語とも結びつけることは出来ない」という記述の前には,すべて色あせると言わざるをえない.

4.「されたい」Aku hendak kaubunuh.
これまで受動論者の苦労を高みの見物していた能動論者の出番である.「指示詞」説の Gonda,「助動詞」説の Uhlenbeck,「したい」用法相手には絶対の強みを発揮した能動論者 Ophuijsen,Mees らは,どうする積りなのか。残念ながら,筆者は,彼らが他人の問題に介入した点ばかりで,自分たちの問題に真剣に取り組んでいるところを紹介できない.彼らは,彼ら自身の問題をこの文において確立する彼ら自身の Roorda をまだもっていないと言えそうである.

文献
 Walbeehm (1920): Beknopte Maleische Spraakkunst op den grondslag der spraakleer van H.C.Klinkert, X+62pp.
 Van der Tuuk (1971): A Grammar of Toba Batak, LI+405pp.
 Roorda (1906): Beknopte Javaansche Grammatica benevens een leesboek tot oefening in de Javaansche taal, vijfde verbeterde druk, XII+344pp.
 Ophuijsen (1915): Maleische Spraakkunst, tweede druk, VI+408pp.
 Kiliaan (1919): Javaansche Spraakkunst, VII+368pp.
 Berg (1936): Bijdrage tot de kennis der Javaansche werkwoordsvormen, 396pp.
 Gonda (1943): De zg.hulppraedicaatswoorden in Maleis en Javaans.BTLV 102, 95-103p.
 Uhlenbeck (1965): Some Preliminary remarks on Javanese syntax. Lingua 15, 53-70p.

***

第5回インドネシア学会研究報告要旨 (1974) から.



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by sanggarnote | 2019-11-11 09:51 | したいされたい
2019年 11月 11日
kebersendirian
Dalam dunia “the Internet of things” ini, tidak ada lagi rahsia dan kebersendirian (privacy) mutlak.

rahsia: インドネシア語では rahasia, 秘密.
kebersendirian: プライバシー.Kamus Dewan では,perihal, keadaan atau sifat bersendiri, privasi.

diri > sendiri > bersendiri > kebersendirian というマレーシアのこの派生語(情報提供: 小野沢先生),インドネシア語にはなさそうである.[Sg]



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by sanggarnote | 2019-11-11 00:10 | 語彙